戦いの言葉は…
09年03月30日
No.1126
白川勝彦Webサイトのホームページのアクセスカウンターは、たぶん今日中に2222222を超える。それがどうした? ただそれだけのことである。だが、3333333を超えるためには、1111111ものアクセスが必要のだ。一期一会というではないか!
私は大相撲ファンである。国会議員の時も、幕内後半の取組は余程のことがない限りテレビ観戦していた。しかし、2009年3月場所は、ほとんど見ることができなかった。小沢事件がひとつの節目を迎えたころ、優勝はだいたい決まっていた。久しぶりの休日、私は終日自宅で過ごした。優勝は決まっていたが、私は食い入るように幕内の全取組を観た。優勝争いだけが見所ではないのだ。今場所の結果をチャンと頭に入れておかないと、来場所の予測や楽しみがなくなるのだ。
私は昔から白鵬ファンである。全勝で10回目の優勝を飾ったことは嬉しかった。10回目の優勝を達成した年齢(24歳0月)は、大鵬・貴乃花に続く若さだった。白鵬は、果たして大鵬に近づく“大横綱”になることができるのだろうか。資質は十分にあると思うのだが、目標はあまりにも高い。一層の精進を望む。天馬(あま)改め日馬富士(はるまふじ)が、いまひとつシャンとしない。天馬ファンとして、これでは困るのだ。どうも改名が良くなかったようだ。
日馬富士を“はるまふじ”と読める人はどの位いるだろうか。私も読めなかった。ゼロに近いのではないだろうか。大衆を味方につける場合、こういうことは避けなければならない。私が小沢事件を論じる場合、“国策捜査”という言葉を使わなかったのはそのような理由による。“検察を使って政敵を抹殺する卑劣な行為”は、どギツい表現である。しかし、何を言いたいかは日本語の分かる人なら誰にでも分かる筈である。後は事実を一つひとつ挙げながら説得していくのである。注釈を付けなければならない言葉は、まだ定着していない日本語ではないのだ。
刑事事件としての小沢事件の行方は、これからハッキリする。たぶんかなり長い裁判になるであろう。だが、政治的犯罪としての小沢事件が、“検察を使って政敵を抹殺する卑劣な行為”であることは明々白々ではないか。各種の世論調査をみれば、現にその結果は出ているではないか。しかし、国民は「検察が悪い政治を糾す」ことなど期待していない。検察が悪い政治を退治した実績など、残念ながら稀有である。悪い政治を退治してきたのは、世論であり民衆だった。嘗てはマスコミが正しい世論を作ることに寄与してきた。今回は白昼堂々マスコミと検察が卑劣な行為を行っている。これが現実である。
それでは、また。