いかなる“百年に一度の危機”!?
09年04月02日
No.1129
ロンドンでG20が開催されている。麻生首相も出席している。今回のG20は金融サミットと呼ばれている。そもそも今回の危機は、金融危機なのか。それとも経済危機なのか。それとも両方なのか。今回の危機が始まってから、私は株価をフォローするようになった。株に関する指標は、経済よりも金融に属するものであろう。こちらの方は、けっこう上がったり下がったりしている。
一方、経済に関する指標は、そのほとんどが下りっ放しである。私は“百年に一度の経済危機”と言われた方が、ピンとくる。しかし、“百年に一度の経済危機”と言う以上、対策は“文明的なモノ”が必要であろう。およそ人間のやることには、“百年に一度”くらい危機があるものである。“百年に一度”くらいの危機や変化のときに、“文明的な変化”があるものなのだ。
この数年間、私は経済をそういう目でみてきた。“ドバイの繁栄”など、どう考えても持続可能性に乏しい。いくらオイルマネーが集まるからといっても、砂漠にあのような巨大都市を作ることなどあり得ないことである。あれが賢明なことだとはどうしても私には思われなかった。石油が高騰し、膨大なオイルマネーが集まることはあり得ないことではない。アラーの神の思し召しとしてあり得る。しかし、あの使い方は、明らかに可笑しい。アラーの神の教えにもあんなものはない筈である。
今回の危機は、アメリカのバブルの崩壊である。それまでのアメリカの景況は“アメリカの繁栄”と呼べるものだったのだろうか。私がアメリカに行ったのは2000年夏が最後である。クリントン政権の末期であった。その時にも、株と不動産の好況感はあった。しかし、バブルというほどの観はなかった。“アメリカの繁栄”と呼ばれるは、その後生じたものである。だから私は“アメリカの繁栄”や“アメリカのバブル”の実態を知らないのだ。
リーマン・ショックから始まる今回の危機は、明らかに“アメリカの繁栄”の崩壊などではなく、“アメリカのバブル”の崩壊に過ぎない。“アメリカのバブル”を新自由主義経済の勝利などと持ち上げていたのは、わが国では竹中平蔵らなのであろう。新自由主義経済理論なるものをアメリカで編み出したのは、いったい誰なのか。そもそも“新自由主義”とは、いったい何なのだ。自由主義は、かれこれ250年近くの歴史に耐えているひとつのizm(主義)である。哲学である。“新○○”と呼ばれるizm(主義)や宗教に碌なものがあった例(ためし)はきわめて稀である。まずは金融サミットなるものをみてみよう。
それでは、また。